「ストラクチャルブラック」のもつ可能性のお話。
カラチェン企画の結末にこんな目からウロコな結末が待っているとは思っていなかった。
私は「ストラクチャルブラック」という推しの選んだ新しい担当カラーに度肝を抜かれた。いい意味で。
「ストラクチャルブラック」そのものについて、そして推しが選んだこの「ストラクチャルブラック」というカラーのもつあらゆる可能性についてそれぞれ考えたことをまとめておきたいなと思う。
先に謝っておきますが、流れも何も考えずに言いたいことをとりあえず書いたので読みにくいです。ごめんなさい。
「ストラクチャルブラック」そのものに関して
ストラクチャル(構造の〜)とブラック(黒)の造語。
ストラクチャルカラーで構造色。
この構造色を表す「ストラクチャル」部分に関しては瑞生くんのブログと色を選んでいる動画において詳しい説明はされているのでそれを見て欲しい。
簡単に書くと構造色はそれ自身には色(色素)はないがそのものの構造により色んな波長の光を複雑に反射させ、干渉させることであらゆる色に見える、その色のことを色素による色とは区別して構造色と呼ぶらしい。
色素によって構成されるいわゆる一般的な色とは違い、光によって構成される色といえばいいのだろうか。
私が構造色に関して調べて理解したことはこんな感じだ。
問題は「ブラック」
これに関しては色を選ぶ動画での
「ブラックっていうのは1個入れたいなとは考えていた」
の一言以外特に触れられていない。
ブラック…を入れたかった理由に関しては本当に分からない。
ブログでの「ぜーんぶ僕の色😊」を踏まえて、「ストラクチャルブラック」がこの世の中で色と呼べる全ての色を表すとするならばこのブラックはブラックである必然性があると私は思う。
構造色は赤〜紫の波長の光が反射し干渉することでできる色である。
つまり全波長を吸収したときの色である黒は私の理解では構造色に含まれないのでは…と思う。
構造色+黒で全ての色 になるのではないか。
はたまた、「色に縛られたくない〜自由に全ての色を自分に詰めてみようと思った」とブログで言っているので
色に縛れず、自由な様を「ストラクチャル」、全ての色を自分に詰めた様を「ブラック」で表しているのではないか…。
どちらも机上の空論でしかないが、ストラクチャルとブラックが合わさったのは偶然でも気まぐれでもなくて必然なのでは…と私は思ってしまった。
瑞生くんはこんな物理的な理由ではなくて、もっと感覚的な理由で「ブラック」を入れたいなと思っていた可能性の方が高いなとは思っている。
でもそれは本人に聞かないと分からないのであくまで与えられた情報と知識からのみ考えられることで無理やりまとめてることだけは御容赦ください。
※11/23 追記①
8/12のキャラアニにて瑞生くんにストラクチャルブラックに関して少し聞くことができた。
ストラクチャルブラックのブラックを入れたかった理由、ブラックの意味について聞いたら
「ブラックを入れたかった理由はとくにない。ブラックの意味は無い。どうしてもストラクチャルを使いたくて。ブラックよりストラクチャルが言いたくて。ストラクチャルが全部の色ってことで、それが言えればよかった。全部の色が僕の色ってことだけが言いたかったんだよね。」とお話してくれた。
ほかの人にもこの日は色についてたくさん聞かれたと思うし、それぞれになんて説明をしたのかはわからないけれど、私が自分の耳で瑞生くんから聞いたストラクチャルブラックはこんな感じでした。
なんとか無理矢理納得しようとして上に連ねたブラックの解釈は本当に机上の空論にしか過ぎなくて、ブラックに意味はない、入れた理由はないと言われ、ブラックはどこから出てきたのだろう、なんで入っているのだろうという謎が深まってしまって自分の中でストラクチャルブラックがわからなくなりました。
「ストラクチャルブラック」がもつ可能性のお話
まずは振り出しに戻って「担当カラーとは?」という所から考えたい。
担当カラーってなんだろう。
その人が受け持つカラーのこと。
多分本人と1番結びつきが大きいもので第一印象を左右するものにさえなりうるもの。
言葉を選ばずに言うと誰にでもその人という人がわかりやすく取っ付きやすくなるように、人を分類するためのものでレッテルの一種だと思ってて。
だから論理記号で表すと【○○くん⇒××色】は成り立つけど【××色⇒○○くん】は成り立たないものだと私は思っている。
【○○くん∈××色】こそが担当カラーなのではないか。
でも「ストラクチャルブラック」という色はこの担当カラーという概念を覆す提案だと私思う。
【ストラクチャルブラック⇔板垣瑞生】が成立するような気がするからだ。
担当カラーとは「受け持つカラー」という前提条件を完全に覆された。
担当カラーを選べない!こうするしかない…!
「ぜーんぶ僕の色😊」
この選択は一見逃げのようにも見えるかもしれない。
でも選べないから選ばなかったのではない。
選べないから全てを選ぶという考えに至った瑞生くん。
本当にすごいなと思う。
そしてそれと同時にストラクチャルブラックというのはなんとも多様な価値観に寛容な選択だと私は思う。
見る人それぞれが瑞生くんに抱く印象で、見る人自身が瑞生くんに色をあてていけばよくて、それを瑞生くん自身が「この色です」って統一することはしたくないから故の答えなのかもしれない。
こちらが瑞生くんといえばこの色だとひとつの色に勝手に決めるのもよし、決めないのもよし、すべてこちら側に判断は委ねられてる。
こちら側の勝手な解釈やどんな捉え方もすべてが間違いではなくて、瑞生くんはその全てを受け止めて認めることができる「ストラクチャルブラック」っていう色にたどり着いたのかなと思う。
誰一人のことも否定せず、みんなの思いをなるべく汲み取りたい、そんな瑞生くんの優しさゆえの選択なのかなと私は思う。
そんなことは頭でわかってる、そしてその瑞生くんの選択はとっても瑞生くんらしくて素敵だなと思うし、そんな瑞生くんの優しさの象徴ともいえる「ストラクチャルブラック」という色が私は好きだなあって思う。
でもその気持ちとは違うところで心のほんの片隅にオレンジに対する名残惜しさがずっとあって。オレンジが特別な色ではなくなって、瑞生くんを表すあらゆる他の色と肩を並べてしまう寂しさが拭えなくて。
オレンジも含まれてる、そこはありがとうって思う。
オレンジを選んでもいいんだよってことだと思うから。
瑞生くんのイメージをオレンジと捉えてオレンジだって言っていいっていうその候補色にちゃんとオレンジも入れてくれたのはありがとう。
でも少なからずカラーチェンジ前までは「オレンジ」は特別な色だった。
ほかの色と並列ではなかった。瑞生くんを語る上で。
だけど、ストラクチャルブラックにおけるオレンジはほかの色と並列だから、モヤモヤしちゃうのかもしれない。
自分の心のなかでしかオレンジを特別にしておけないから寂しいのかもしれない。
正式に公式にオレンジが特別なんだよって言って欲しいのかもしれない。
(それってオレンジを選んで欲しかったってことになっちゃうのかな)
この気持ちにいつ折り合いをつけられるのかは分からない。
時間が解決してくれるのか、それとも永久に心にしこりとして残り続けるのか。
そしてもう1つ。
切り口を変えて考えたときに、色を選択するという概念を飛び越えた「ストラクチャルブラック」という瑞生くんの答えはある意味グッズや衣装を制作する運営への宣戦布告なのかもしれないとも私は思ってしまった。
「カラーチェンジ」という企画に対して瑞生くんが投じた一石が「ストラクチャルブラック」なのではないのか。
上手く説明は出来ないけれど、誰しもが想像しなかった、ある意味のずる賢さすら感じる今回の「ストラクチャルブラック」という選択は「どの色でもいい」という優しさの裏に「どの色か決まっていない」面倒くささというか、大変さがあると思っていて。
それは運営がどう対応していくのかにかかっているし、そこはひとつ挑戦なのかなと思う。
瑞生くんは動画で「1個の試みとして皆さんと楽しんでいけたら」と言っていることを考えると「試み」だから上手くいかないことが沢山出てきたらその都度何かしら対応が求められるし、まあ試行錯誤してどうにか「ストラクチャルブラック」という新たな色の概念を作っていくのかなと思う。
この色の行方は見守っていかないとわからないし、まだまだ全然何も見えてないのが現状だと思う。
最後に、動画で瑞生くんが言っていた「新しい担当カラーを作りたい。」
私は瑞生くんのこの言葉を聞きホットギミックの初日舞台挨拶の山戸監督の言葉を思い出した。
「青という言葉がなかった時代に人は青を認識できなかった。青という言葉があって初めて青という色が可視化された」
「ホットギミックという新たな色がこの映画によって認識されるようになることでホットギミックという新たな色が可視化されるようになってほしい」と言っていたことを。
瑞生くんを表すための新しい色「ストラクチャルブラック」
この「ストラクチャルブラック」は私たちが瑞生くんにいだく色として初めて可視化されるのかなと思う。
瑞生くんを表す色として世の中に「ストラクチャルブラック」という色が認識され浸透されていってくれたらいいなあって思う。
そしてストラクチャルブラックとともに、世の中にもっともっと板垣瑞生さんの唯一無二の価値が浸透していってほしいなと思う。
上手く言葉には出来ないけど、ストラクチャルブラックってすごく斬新な提案で、色んな可能性を秘めてると私は感じてる。
この瑞生くんの新しい挑戦を潰すも活かすもそれこそこれからの運営の力量しだいなのかなと思う。
どうか、この瑞生くんの選択が邪険にされないことを祈ります。
※11/23 追記②
ストラクチャルブラックという言葉に出会ってから3ヶ月が経ちました。
未だにストラクチャルブラックという色が私にははっきりとは見えてきていません。
衣装やグッズはやれる範囲でかなりストラクチャルブラックになっていたというのが私のこの約3ヶ月の印象です。
ペンラも瑞生くんのペンラは1枚多くシートが入っていてストラクチャル仕様になっていました。
衣装も黒を基調色とした上にストラクチャル加工がされていました。
ちゃんとストラクチャルは表されてはいる、できる範囲で。そこはありがたいなと思います。
でもこれが瑞生くんの言いたかったストラクチャルブラックなのか?という疑問が私の中から消えませんでした。
1つの色にとらわれたくない。全部の色が自分のカラー。それがストラクチャルブラックだと私は思っています。
でも現在のM!LKにはメンバーカラー制度が存在していてメンバーカラーのグッズや衣装が存在しています。
やはりそうなるといくら1色にとらわれない色というメンバーカラーの概念を覆す色を打ち出してもメンバーカラー制度の中にいる以上1つの固定色を担わなければならない。
ストラクチャルの中にも基調となる色が存在せざるを得ない。
その事実はわかる。ストラクチャルを全てで忠実に再現していくことが難しいことだってわかっている。
でも、じゃあ、その基調色は誰がどう決めるのか、決めたのか。
今現在の基調色はブラック。
ストラクチャルブラックとカラー名にブラックという言葉が入っているからであろう。
でも私はそこに違和感を覚えてしまう。
彼が入れた理由はない、意味もとくにないと確かに口にしたブラックが基調色として、一番彼を縛る色として扱われていることに。
ブラックはどこからきたんだ。
基調色が存在してしまうこと自体、このストラクチャルブラックの概念に反することだと思う。
だから基調色の1色に縛られてしまう運命は変わらないので色にこだわらない彼の中では基調色は何色でも問題ではないのかもしれない。
でも彼が色を1つに選んでない中でどういう成り行きかわからないが勝手に選んでもいないはずの黒が選ばれている現状は違和感しかない。
カラチェン企画という謎の企画がやれたんだとしたら、ストラクチャルブラックの基調色を決めようなんて企画もやってくれたらいいのになとか勝手なことを考えてしまう。
そしてもうひとつ私の中で引っかかっていることがある。
ストラクチャルブラックというカラー名を彼の口から聞く回数の少なさである。
私の勝手な印象かもしれないがストラクチャルブラックよりも玉虫色という表現を多用していると感じている。
私の解釈でしかなくて申し訳ないが玉虫色は構造色そのものを表す色でストラクチャルカラーを表す言葉なのでストラクチャルブラックという言葉よりもより瑞生くんの使いたかったストラクチャルが言える色なのではないかと思っている。
やはりそうなるとここでもじゃあ意味のないブラックはどこからきた?なぜ入っている?という疑問に戻ってしまう。
この3ヶ月で謎のブラックがいつのまにか基調色になっていて、全ての色が並列になるはずのストラクチャルブラックでとくに理由もなしにブラックだけが一歩前に出ている現状に疑問を感じてしまう。
私は基調色がブラックとなった納得のできる説明がほしいのかもしれない。
瑞生くん本人が基調色を選ぶところを見て納得したいのかもしれない。
ストラクチャルブラックが嫌なんじゃない。
オレンジに何が何でも戻ってほしいと言うつもりもない。
ストラクチャルブラックという色の可能性がたくさんあるからこそ、
ストラクチャルブラックという色を大切にしたいと思うからこそ、
今のストラクチャルブラックに違和感がある。
これが今3ヶ月経った段階での私の気持ちです。
嵐の活動休止について思ったこと
ほんと走り書き。
とりあえず直感的に思ったことをとりあえず書いておいてます!
今の気持ちをとりあえず残しておきたいから。
なんだろう、なんでだか分からないけどね、とりあえず嵐活動休止ってニュースが飛び込んできたときにすんなり納得出来てしまったというのが本音です。(こんなこと言ったら殴られそうだけど)
驚きより、ああやっぱりなと言う感覚の方が大きかった。
5×20で久しぶりに現場行って、あまりにも「5人で」って言ってたんです、とくに櫻井さんが。
事務所内で色々と変動があったグループが多いから自分らと対比して5人を強調してるのかなと思いつつも、なんでそこまでいきなり言い始めた??って違和感の方が私には強くて。
いや、ずっと見続けてたわけじゃないから、いきなりかどうか分からないけど、私が以前ガッツリオタクやってたときとは上手く結びつかないくらい言ってたのが違和感だった。
だからこれから何かしらあるのかもと頭に過ったけど、まさか現実になるとはなあ。
この発表を受けて、「だからあの5×20だったんだ」って自分のなかではスッキリしてる方が大きい気がする。
それに解散や誰か1人が脱退とかではなく、活動休止っていう、これからまた、再開する可能性を含めてくれてる時点で、私は悲しみよりも、また戻ってくるまで待ってるね、休止期間、嵐から放たれて、存分に羽根伸ばしてきて!って気持ちの方が強い。
嵐に縛られてることで出来ないことは沢山あると思う。
だから1回その嵐から縛られなくなってみる、それでそこからどうするか考えるって作業は必要かなと思う。
それすらさせてもらえないのは可哀想かなとも思う。
とりあえず解散!!とか、とりあえず脱退!!ではなくてまずは休止で様子見ようってそういうことだと私は思う。
ただ1回嵐に縛られなくなってみて、やっぱりこっちがいいってなって思うことも大いにあり得る。
そのまま戻ることなく解散だったり自然消滅的になっていく可能性も少なからずあると思う。
だけどそうなっても誰も責められないと思う。わたしは。
だって嵐って十分すぎるくらいトップアイドルを全うしてくれたと思うから。
嵐 でいることがメンバーの誰かしらにとって苦痛となってしまっているのなら、それを無理に5人でずっと嵐やっていてよ、なんて、無責任なこと私は言えない。
5人それぞれに人として幸せを感じていてもらいたいから。
それに本人たちが5人じゃないと嵐ではないって言う以上、1人でも嵐ができない人が出てきたら、もう嵐がなくなるのは仕方ないと思う。
むしろ5人の綺麗なままの嵐を想い出に出来るなら私は幸せかなとも思うし。
嵐って私の中で絶対間違ったことはしないって勝手に思っちゃってるとこあるから、今回のこの嵐の決断を正解とする解釈しか私の中には生まれないし、嵐を批判する、嫌になるって思考が私の中には存在しないみたいだから、この決断をしたことも含めてやっぱり嵐が好きってなってる。
やっぱり私の好きな嵐だなって再確認出来てしまったところがある。
考えれば考えるほど、1つ筋が通ってて、そこからズレた考え方をしていなくて、嵐ってかっこいいなって思う。
これから先、いつかまた復帰してくれるのか、このまま5人が見られなくなってしまうのかそれはもう分からないけど、なるようにしかならないと思うし、5人が納得して、それぞれがちゃんと幸せになれる未来が訪れるならそれを見届けるしかないなあって私は思います。
二宮担は降りてしまっているけれど、私の青春は嵐と共にあったし、嵐のことは昔も今も未来も多分ずっと好きです。
嵐ってほんとに素敵なグループだなって思います。
最後かもしれないとわかった上で5人の姿を目に焼き付けておきたいのでand moreに行けたらいいなと思うけど、きっと難しいですよね。
休止となるその日が来たら、お疲れ様とありがとうと待ってるね、をまた改めて書きたいなと思います。
ってここまでは、嵐からとりあえず発信された言葉だけを素直に受け取った感想です。
ただ、もうね、こんな綺麗に物事を考えられますか?受け入れられますか?って話で。
こんなこと言ったらダメだけど、あの事務所のことだから絶対裏がある。
そう思うのは仕方ないこと。
でももうわたしはその裏を探りたくはないし、嵐を嫌なものとして捉えたくないから。
彼らの発言をとりあえず信じる、キレイに捉えてみるってことに徹してみた次第です。
いやあ、でもね、私の中のほとんどを占める黒い部分が、こんなんで納得出来るわけないだろ??
綺麗にことをまとめてうまくおさめようとし過ぎでしょ???
納得させたいならもっともっとちゃんと説明してよ、なんて思ったり。
でもその“ほんと”がべつのところに存在すると仮定したときに、その“ほんと”を私たちが知ったら幸せなのかな?って。
多分幸せではないから隠されてるんだよね。
でも好きなら、大好きなら、ずっとそれにお金も時間も愛情もかけてきたなら、傷ついてもいいからその“ほんと”を知りたいとも思うよね。
私は降りてしまっていて現在進行系でお金や時間や愛情を注いでるオタクでは残念ながらないので、その“ほんと”はべつに知っても知らなくてもいいかなあ、くらいに思ってしまっています。
結局外野なんですよね、もう、わたしは。
休止までだいぶ期間が取られているので、それが幸となるか、不幸となるか。
事務所と本人達の出方次第なところもあると思うけど、私は外野から見守って受け入れるなり、スルーするなり、していくつもりです。
私の中で嵐は綺麗なままの想い出にしたい。ただそれだけ。
言葉にした時点でそれは嘘
新年1発目のブログです。
このブログが新年1発目になるとは………。
ただいまインフルエンザにかかっておりまして。
その体調絶不調の最中、ちょっとモヤモヤして色々と考えるきっかけとなる出来事がありまして。
今までのオタク人生を振り返って色々思い出したり考えたりしていました。
そこで思いだしたことがありました。
今日はそれについて書きたいと思います。
私には今までのオタク人生で出会った大切に心においておきたいと思っている考え方があります。
私が二宮担をやっていたときに感銘を受けた二宮さんの考え方です。
二宮さんのラジオや雑誌での発言の中にあったものです。
覚えているニュアンスですがここに記します。
言葉で表現しなければ伝わらないのかもしれないけれど、言葉にしてしまった時点でそれは嘘。
自分の感情と100%一致する言葉なんてないから、そこには絶対的に数%の嘘が混在する。だから言葉を補っていけばいくほどその言葉にある自分の感情の純度は低くなる。
言葉を重ねると発した言葉が自分の感情とはかけ離れていってどんどん嘘になる。
全てを言葉にして表現することは野暮だなと思うし全部を語るなんて100%不可能なこと。
何かを言葉にする際は嘘を含むという自覚を持って覚悟しなきゃいけないから自分の発した言葉には責任が生じる。
責任を負いきれる範囲までしか言葉を重ねてはいけないというか自分は怖くてできない。
私にはこの二宮さんの考え方がすごく腑に落ちました。
私はこの考えに出会って以来、このことを念頭に置いて生きています。
たまに忘れている時もあるけれどふとしたときによく思い出します。
いま板垣瑞生くんのオタクをやっていてもよくこのことを実感します。
板垣瑞生くんはメンバーの中でもSNSの更新頻度が低めだったり、ブログの文章も短めだったり、あまり多くを語らない印象があります。
でもわからないなあとか不安だなあと思ったことってあまりないんです。
必要最低限はちゃんと言葉にしてくれているから。
むしろその少ない言葉の中で純度の高い瑞生くんの感情がちゃんと伝わるから。
私は瑞生くんのブログやインスタが好きです。
瑞生くんの言葉が好きです。
瑞生くんの発信するしないの線引きって絶妙なんだろうなと思います。
最近アルバムの表題曲に関連して、私が瑞生くんのオタクをやっている中でのTreasureってなんだろうと考えていたんですけど、
瑞生くんに選ばれて発信されてきた言葉こそがオタクにとってかけがえのない宝物だなって思います。
でもこの考えをつい忘れてしまって向き合ってしまうことが多かった対象それが阿部顕嵐くんでした。
私はいつも顕嵐くんに言葉を求めてしまいがちでした。
「言葉と行動で示してほしい」 が口癖のオタクでした。
数日前、顕嵐くんのものと思われるインスタグラムのアカウントができました。
無言投稿が続く中、私は「言葉がほしい」といいました。
でも、言葉はなくてもそこから伝わるものってちゃんとあるはずだし、
むしろ言葉にしないことで伝えたい純度の高い気持ちがそこにはあるかもしれないんですよね。
でもなぜかその気持ちをくみ取ろうとすることができませんでした。
散々わからないを積み重ねてきてしまったからかもしれません。
今まで最低限すらも語る機会を与えてもらえていなかったから。
伝わってくるものが少なすぎて、わからないを積み重ね過ぎてしまったから、
今となっては何をどう捉えていいのかわからないのです、私には。
やっぱり最低限の言葉はほしいなと思うし、最低限がないと厳しいなと実感しました。
そしてこの考えを持っているのに、私はオタクをしていく上でどうしても 言葉 に頼りすぎてしまうことがあります。
今のオタク文化がツイッターやブログといった言葉での文化だからかもしれません。
言葉にすることでオタク同士共感し合うことが多いからかもしれません。
でも言葉では足りないと思うことも言葉が違う様に伝わっていると感じることも多々あります。
言葉 にしすぎない、これが私のオタクとしての目標です。
私は今まで散々推しや自担のことを多くの言葉で語ってきました。
たくさん言葉を重ねてきてしまいました。
でも言葉は重ねすぎてもよくない、それを一番自分で痛感しています。
言葉を重ねることで私が表現したかったもの、伝えたかった推しの自担の姿から私の言葉はかけ離れていってしまうという自覚がありました。
そして毎回その差異に苦しんで後悔します。
自分の語彙力や表現力、想像力や創造力のなさがその差異をさらに大きくしていることもわかっています。
だから、なおさら言葉の力に頼り過ぎないということを常に頭に置いておきたいなと思うのです。
結局この考え自体もこうやって言葉にすることで覚え書きしておこうとしてしまっているから、純度が限りなく低くなってしまっているし、言葉にしてしまった時点でとっても薄っぺらいものになってしまっている気がしています。
でもそのリスクを負ってでも、どうしても忘れたくないことだったから。
このタイミングで書いてみました。
やっぱり言葉って難しいなあ~~~~~~。
おしまい。
阿部顕嵐くんへ
阿部顕嵐くんへ
あべあらんくんに伝えたいことがあります。
あらんくんに謝りたいことと感謝したいことがあります。
まずは謝りたいこと。
あらんくんのことを最後まで信じて待ち続けることができなくてごめんなさい。
そしてあらんくんが散りばめてくれていたヒントに気づいてあげられなくてごめんなさい。
私が最初にあらんくんから担降りするという内容のブログを書いた、そのきっかけは空飛ぶタイヤ内のインタビューでした。
役者100%という発言がいままでの顕嵐くんの目標や夢からはうまく結びつかなかった。
もっと貪欲にアイドルをやってほしいと思ってたしアイドルで成功する未来だけをただただ信じていた私は何にも見えていなかったんだなあといまなら思います。
文春の内容を全て信じる訳ではないけれど3月の祭りの単独公演で感じた緊迫感と合同のときに感じた違和感。
You tube辞退?が発表されたときから裏では色んなモノが崩れていっていたんだと思う。
そして4月から6月くらいまでにあった空飛ぶタイヤ関連での露出。
あらんくんはそのとき置かれていた状況から、その時点で、ある程度いまのこの退所という結末を想像できていたのではないかと今なら思う。
そう感じる言葉が沢山ある。
でもそこにはこの世界で生きていく決意の言葉があって。
また私たちの前に現れてくれるのではないかと期待してしまう言葉が沢山あふれていた。
私が知っているあらんくんは何でも有言実行してくれる顕嵐くんだから。
だから私はまたあらんくんのことをちゃんと応援させてもらえるようになる日をずっと待っています。
アイドルな顕嵐くんが好きだったけれど、顕嵐くんがアイドルじゃなくなることなんて考えたことなかった。
顕嵐くんがアイドルじゃなかったら好きじゃないのかなと考えて見たけどそれは違う気がした。
わたしは夢や目標に向かって一生懸命頑張って光り輝いている顕嵐くんのことがとっても大好き。
だから顕嵐くんが事務所を辞めたことで国民的アイドルになるって夢からまた違う夢に進み始めたなら、その夢を応援したいし顕嵐くんがまた夢を叶える瞬間を見届けたい。
だから何も気づかずに担降りしたことを後悔してしまっているし、退所まで気長に信じて待っていてあげられなくてごめんね。
アイドルの阿部顕嵐くんからは担降りしてしまったけど、もし、もし、また私たちの前に姿を現してくれるなら、また芸能活動をしてくれるのなら、改めて阿部顕嵐くんのファンになりたいなって思いもあります。
ちゃんと受け入れてファンになれるかは分からないけれど。
そして何度だっていうけどあらんくんには沢山沢山感謝していることがあります。
アイドルのあべあらんくんにはほんとに沢山の幸せをもらいました。あらんくんを好きになって顕嵐担になったことに全く後悔はありません。
ずっとずっと自慢の自担でした。
もうアイドルのあらんくんには会えないのかなと思ったらめっちゃくちゃさみしいし、
あの曲を踊る顕嵐くんもこの曲を踊る顕嵐くんもこの衣装を着る顕嵐くんもこのメンバーと楽しそうに絡む顕嵐くんももう見られないのかと思うととっても胸が苦しくなるけれど。
顕嵐くんがアイドルとして光り輝いていた時代は私の心の中でずっと輝き続けてます。
絶対一生忘れないと思います。
あらんくんに出会えて良かった。
本当にありがとう。
2010年10月23日から2018年11月30日まで。約8年1ヶ月。
本当にお疲れ様でした。
これからの顕嵐くんがどうなっていくのかわかりません。
芸能界で芸能活動は続けていくのか、
それとも全くの一般人になってしまうのか。
でも、でも、やっぱり私は顕嵐くんのことを待ち続けたいなって思います。
また私たちの前できらきらな笑顔を見せてくれる顕嵐くんに再会できる日を。
あらんくんはこんなところでとどまるなんてもったいない人だなって思うから。
いつかまた君に会えるその日まで。
最後に、
阿部顕嵐くん絶対幸せになってね。
追記
一つ前のブログでもうファンになることは無いと書いたり今回のブログでまたファンになりたいと書いたり気持が一転二転してる感じがありますが、最終的な結論はもうファンになることはありません。
どこかであらんくんの活躍を風のうわさで耳にして良かったなあって思えたらそれで十分です。
いまのきもち
この私が担降りブログを書くだなんて微塵も思っていませんでした。
という決まり文句で書き始めてみます。
上手な文章は書けないし、ほんとに担降りするのか??と半信半疑で書き始めているので未練タラタラなブログになると思います。
でも、一度、今このタイミングでの自分の素直な気持ちを書いてみたいなと思います。
阿部顕嵐くん。この名前だけでも圧倒的オーラがあって、神がかっていて、スター性を感じる男の子に出会ったのはSexy Zoneの2nd シングル『Lady Diamond』のPVだった。
当時、このPVがきっかけで宮近くんが気になって、そのシンメの子ってくらいの印象しかなかった。
そこから、時を経て、再び顕嵐くんに出会い、そこで初めて心惹かれた。中島健人くんのCANDYのバックで踊る顕嵐くんだった。こんなに楽しそうにキラキラとした何かをふりまきながら踊る子は初めてだった。あ、この子、すごい子になるかも…。ただの直感だけどすごくワクワクした。
だけど、そのときはあまり顕嵐くんに降りようとか、顕嵐くんを自担にしようという考えはなかった。この子がいつかデビューしたらやっぱりなって思うだろうなあ、くらいにしか考えていなかった。
そこから数ヶ月経って、2014年4月放送の少クラ。ジュニアコーナーでHappy Happy Lucky Youが披露された。
帝劇舞台に一緒に出ていた岩橋くん、神宮寺くん、岸くん、宮近くん、この4人でジュニアの先頭で踊ることが多かった時期だったが、岸くんがSHOCKで不在だったため顕嵐くんがそこにいた。
ジュニアの一番前の列で生き生きと踊る顕嵐くんを見て、心をグッと掴まれた気がした。そして自分の見せ方、アピールの仕方がとても上手だなと思った。それと同時に、この子、すごい強い思いで、今この場所で踊っているんじゃないのかな…。となんとなくだけど感じた。
そしたらそこから顕嵐くんのことが気になって気になって仕方なくなって、今までの雑誌や映像、沢山漁った。
インタビューで必ず言い続けていた夢があった。
『いつかCDデビューがしたい』
あ、あのはぴらきを見た時に感じた彼の強い意志みたいなものはこれだったのかと思った。
そして、この子が夢を叶える瞬間を見たいと思ったし、夢を抱きながら頑張る姿を見届けていきたいとおもった。
そんなこんなでこのはぴらきがきっかけで私は顕嵐担になった。
私が顕嵐担になった直後からの顕嵐くんの快進撃はすさまじくて、ほんと目が回りそうだった。
SHARK2に出演して、金髪になった、そのあとすぐに近キョリで主演を張る。少クラも毎週当たり前の様に出ていて出番も多くて、そのときのジュニアのトップグループ扱いをされていた。
そのほかに週刊誌報道が出たり……もあったね。とにかくめちゃくちゃ忙しくしていたし、めちゃくちゃ有名になっていった。
私はセクバで顕嵐くんを見つけたから、トラジャの顕嵐くんは後付けで知識を足した。正直どちらの顕嵐くんがいいという思いは全くなくて、自分の置かれている場所で全力で頑張る顕嵐くんが見られれば、トラジャであろうとセクボであろうと嬉しかった。
ただ最終的にデビューという夢を叶えてほしいという思いは強かったから顕嵐くんにはその夢だけは忘れないでいてほしかったし、その夢のために何事も貪欲に頑張ってほしいと思っていた。
トラジャでの活動もセクボでの活動も絶対今後の顕嵐くんの糧になるって思っていたし、どのグループでデビューしてほしいなんて思いは私にはなくて、そこは結構気軽に何にも考えずにただただ顕嵐くんを応援していたなあと思っている。
そこから月日は流れ、顕嵐くんは今Love-tuneというグループにいる。
顕嵐くんがどこにいるかをあまり気にしないで応援してきた私だったが、なぜか今回はもやもやした。
その原因は、顕嵐くんの長年のシンメ、宮近くんと離れたからだと気がつくのにすごく時間がかかった。
顕嵐くんがLove-tuneになったとき、驚きはしなかった。
こんなこと言ったらトラジャ担さんには怒られてしまうかも知しれないけど、顕嵐くんがずっとトラジャにいるって確約はないし、いつかこういう未来もあるかもなあくらいには想定していた範囲内のことだったから。
ちなみに今もこんなこと言ったららぶ担さんに怒られてしまうと思うけれど、Love-tuneというグループがずっとこのまま7人で順調に進んでいく未来だけではないよなと心のどこかで思っている自分がいる。
永遠なんて信じられないし、信じていて裏切られた気持ちになってがっかりしたくないみたいな自衛心が強いのかな。私。
そんな感じで顕嵐くんがどこのグループに所属しているかを気にしたことは今も昔もあまりない。
でも、今回のLove-tuneになったっときはどこかさみしくて、心のどこかが過去を求めていた。つい数ヶ月前にその心のもやもやの原因はあらちかが見られなくなったことだと気がついた。わたしは、顕嵐担だと思っていたけど無意識のうちにあらちかの顕嵐担だったのかもしれない。
まあ、この話はこれくらいにしておこう。
私が顕嵐くんから担降りする理由は顕嵐くんがトラジャからラブに移籍してそれが受け入れられないから…ではないのだ。
たしかにこの胸のもやもやをずっと抱えていたことも事実だけど、私はLove-tuneというグループは好きだし、Love-tuneのパフォーマンスに信頼を置いているし、彼らの作り上げるコンサートがすごく好きだ。
1曲のうちにダンスもバンドもやるっていう演出を初めて見たときはガチで鳥肌が立ったし、すごくそのエンターテイメント性に感服させられた。
そして歌もバンドもやって…舞台やトークに定評のあるメンバーも多くて、いわゆる多彩でオールマイティなグループの一員に顕嵐くんがなれているなんて数年前では想像もつかなかったし、すごいことになっているなって思った。ここでの経験もきっとこれからの顕嵐くんの糧になっていくなって。顕嵐くんがもっともっとすごい子になっちゃうなって嬉しかったりもした。
でも、なんでかわからないけど顕嵐くんの長年の夢であるCDデビューから遠ざかっている様にも感じてしまう瞬間があったり、顕嵐くんのデビューしたいって思いが今までよりも強くないのかもしれないと思う瞬間が増えた。
そこが自分の中でぶれ始めた瞬間から顕嵐くんをどう応援していいかわからなくなっていった。
昨年は魔女宅に何者に個人仕事が沢山あって演技のお仕事を沢山していた顕嵐くん。
私はキラキラを振りまいて歌って踊っている顕嵐くんに未来を期待していたし、まさかこんなに演技のお仕事をするような人になるなんて思ってもいなかったからびっくりしたけど、顕嵐くんの活躍が見られることはすごく嬉しくて。
でもやっぱりわたしが好きになったキラキラアイドルのステージからはどんどん顕嵐くんが離れていっている気がしてしまって、自分のなかで私は顕嵐くんをどう応援していくべきなのか何度も悩んだ。
その最中、何者の舞台期間中に文春砲が出た。ほんとはこの話には触れないでこのブログを書こうと思っていた。でもこの出来事こそが担降りの第一歩となったことは変わらないか書こうと思う。
文春砲を最初に知ったとき、驚くことはなかった。噂程度で小耳に挟んでいたことだったし、今回決定的な写真は1つもなかったことで安心というか、なんというか。がっかりした気持ちやマイナスな気持ちはあまり感じていなかった、最初は。
でもそのあといろいろ考えて、顕嵐くんを信じられなくなったというか、裏切られたみたいな気持ちが大きくなった。
顕嵐くんにとって今ってすごく大事な時期ではないのかな。デビューしたいと本気で思っていたらこんな浮いた話出て来ないんじゃないかな。顕嵐くんにとってデビューしたいって思いはそんな軽い気持ちだったのかなって。
だって今までの努力がその1つの報道で崩壊していくの以前の報道で学習しなかった??
こんな感情が時間が経てば経つほど心にわき上がってきて、顕嵐くんのこれからをどう応援していけばいいのかますますわからなくなった。
そして空飛ぶタイヤの雑誌インタビューでのことだった。
顕嵐くんが「いまご自身のなかで芝居は何パーセントを占めていますか?」という問いに「100パーセントです。(中略)芝居が土台にあるから歌の世界観に入れる」こう答えていた。
違う考えの方もいらっしゃるとおもいますが と前置きをしてこの答えをしてくれている顕嵐くんはとことん優しい子だな、自分の意見を人に押しつけることのない子だなと思ったのでこれは顕嵐くんの意見を否定したくて書いている訳ではないことそれだけは私も前置きしてから話すことにします。
私は顕嵐くんは歌やダンスをやるアイドルだからこそお芝居にも繋がっている、そう考えています。この考え方は元担の嵐の二宮和也さんの影響が大きいかもしれません。
だからこの顕嵐くんの言葉を見た時、これから顕嵐くんを応援していっても私の考える理想の顕嵐くんと実際の顕嵐くんの目指している顕嵐くんの差異がどんどん広がって苦しくなるばかりだろうなと思ってしまった。
この出来事がきっかけで気がついたけど、ずっと感じていた心の違和感は顕嵐くんの理想の顕嵐くんと私の理想の顕嵐くんのずれだったのかもと思った。
だから今回担降りすることにしました。
でも顕嵐くんのことはずっと大好きです。今も。
それに顕嵐くんがいつかデビューする日を今もずっと待っているし、これは担降りしてからも変わらないと思います。
私が顕嵐担になったときから色んなお仕事をして色んなことに挑戦して色んなことができるようになった顕嵐くん。
顕嵐担をしていて、日々成長を感じられて、すごくすごく楽しかったし、毎日元気ももらっていました。ありがとう、顕嵐くん。
きっとこれからも顕嵐くんは輝き続けていくと思います。今までと変わらず、いや、今まで以上に。
私は、その輝きを一つ一つ拾い集める作業を今ここで辞めてしまうけど、またいつかどこかで顕嵐くんの輝きのかけらを手にとってこんなに素敵な未来に来られたんだね、って再会できる日を楽しみにしてます。
顕嵐くんが信じる未来を、顕嵐くんが笑顔で楽しく輝ける未来を、歩いて行ってください。
阿部顕嵐くんに幸あれ!!!
最後に、担降りってことは誰かに??と思われた方いると思いますが、私は元担から顕嵐くんに降りた時から決めていたことがありまして。
顕嵐くんは最後の自担にする。顕嵐くんから降りるときは私がジャニヲタを辞めるときだと。
その気持ちは今も変わらず。ジャニーズ内に私が顕嵐くん以上に応援したい、見届けていきたいと思う人は結局できませんでした。
なので一旦ジャニヲタはおしまい。
これからもふらっと嵐現場だったり顕嵐くん現場に顔を出すことはあるかもしれません。
でも気持ちのひとつの区切りとして。今は一旦担降りという形で顕嵐くんと距離を置きたいなと思います。
また数か月後、数年後もしかしたら顕嵐担に出戻ってるかもなと思うし、やっぱり応援したいって思って戻ってくるかも知れない。
素直にまた顕嵐くんを応援したいって思える日が来たら、出戻りも全然ありだなと思っています。
また楽しく顕嵐くんを応援できるようになれるまで、さようなら。
沢山の素敵な思い出をありがとう。
今までもこれからも顕嵐くんのことがずっと大好きです。