言葉にした時点でそれは嘘
新年1発目のブログです。
このブログが新年1発目になるとは………。
ただいまインフルエンザにかかっておりまして。
その体調絶不調の最中、ちょっとモヤモヤして色々と考えるきっかけとなる出来事がありまして。
今までのオタク人生を振り返って色々思い出したり考えたりしていました。
そこで思いだしたことがありました。
今日はそれについて書きたいと思います。
私には今までのオタク人生で出会った大切に心においておきたいと思っている考え方があります。
私が二宮担をやっていたときに感銘を受けた二宮さんの考え方です。
二宮さんのラジオや雑誌での発言の中にあったものです。
覚えているニュアンスですがここに記します。
言葉で表現しなければ伝わらないのかもしれないけれど、言葉にしてしまった時点でそれは嘘。
自分の感情と100%一致する言葉なんてないから、そこには絶対的に数%の嘘が混在する。だから言葉を補っていけばいくほどその言葉にある自分の感情の純度は低くなる。
言葉を重ねると発した言葉が自分の感情とはかけ離れていってどんどん嘘になる。
全てを言葉にして表現することは野暮だなと思うし全部を語るなんて100%不可能なこと。
何かを言葉にする際は嘘を含むという自覚を持って覚悟しなきゃいけないから自分の発した言葉には責任が生じる。
責任を負いきれる範囲までしか言葉を重ねてはいけないというか自分は怖くてできない。
私にはこの二宮さんの考え方がすごく腑に落ちました。
私はこの考えに出会って以来、このことを念頭に置いて生きています。
たまに忘れている時もあるけれどふとしたときによく思い出します。
いま板垣瑞生くんのオタクをやっていてもよくこのことを実感します。
板垣瑞生くんはメンバーの中でもSNSの更新頻度が低めだったり、ブログの文章も短めだったり、あまり多くを語らない印象があります。
でもわからないなあとか不安だなあと思ったことってあまりないんです。
必要最低限はちゃんと言葉にしてくれているから。
むしろその少ない言葉の中で純度の高い瑞生くんの感情がちゃんと伝わるから。
私は瑞生くんのブログやインスタが好きです。
瑞生くんの言葉が好きです。
瑞生くんの発信するしないの線引きって絶妙なんだろうなと思います。
最近アルバムの表題曲に関連して、私が瑞生くんのオタクをやっている中でのTreasureってなんだろうと考えていたんですけど、
瑞生くんに選ばれて発信されてきた言葉こそがオタクにとってかけがえのない宝物だなって思います。
でもこの考えをつい忘れてしまって向き合ってしまうことが多かった対象それが阿部顕嵐くんでした。
私はいつも顕嵐くんに言葉を求めてしまいがちでした。
「言葉と行動で示してほしい」 が口癖のオタクでした。
数日前、顕嵐くんのものと思われるインスタグラムのアカウントができました。
無言投稿が続く中、私は「言葉がほしい」といいました。
でも、言葉はなくてもそこから伝わるものってちゃんとあるはずだし、
むしろ言葉にしないことで伝えたい純度の高い気持ちがそこにはあるかもしれないんですよね。
でもなぜかその気持ちをくみ取ろうとすることができませんでした。
散々わからないを積み重ねてきてしまったからかもしれません。
今まで最低限すらも語る機会を与えてもらえていなかったから。
伝わってくるものが少なすぎて、わからないを積み重ね過ぎてしまったから、
今となっては何をどう捉えていいのかわからないのです、私には。
やっぱり最低限の言葉はほしいなと思うし、最低限がないと厳しいなと実感しました。
そしてこの考えを持っているのに、私はオタクをしていく上でどうしても 言葉 に頼りすぎてしまうことがあります。
今のオタク文化がツイッターやブログといった言葉での文化だからかもしれません。
言葉にすることでオタク同士共感し合うことが多いからかもしれません。
でも言葉では足りないと思うことも言葉が違う様に伝わっていると感じることも多々あります。
言葉 にしすぎない、これが私のオタクとしての目標です。
私は今まで散々推しや自担のことを多くの言葉で語ってきました。
たくさん言葉を重ねてきてしまいました。
でも言葉は重ねすぎてもよくない、それを一番自分で痛感しています。
言葉を重ねることで私が表現したかったもの、伝えたかった推しの自担の姿から私の言葉はかけ離れていってしまうという自覚がありました。
そして毎回その差異に苦しんで後悔します。
自分の語彙力や表現力、想像力や創造力のなさがその差異をさらに大きくしていることもわかっています。
だから、なおさら言葉の力に頼り過ぎないということを常に頭に置いておきたいなと思うのです。
結局この考え自体もこうやって言葉にすることで覚え書きしておこうとしてしまっているから、純度が限りなく低くなってしまっているし、言葉にしてしまった時点でとっても薄っぺらいものになってしまっている気がしています。
でもそのリスクを負ってでも、どうしても忘れたくないことだったから。
このタイミングで書いてみました。
やっぱり言葉って難しいなあ~~~~~~。
おしまい。